敏感過ぎて疲れる人=人の優しさを繋ぐ役割の人

 

 

 

私が人の心に敏感なのは、

ありがとう

とか

あなたがいてくれて良かった、

とか

助かった、

とか

言われたいからなのかもしれない。

 

 

 

 

 

からしたら「偽善者が」なのかもしれない

 

でも、

誰かにありがとうって言われるのって嬉しい

よね

自分が相手の役に立ったってことだもの

私が私の体という器を使って、

人のために三次元で何かをした、

粒を振動させたってことなんだもの

 

 

 

 

 

ありがとうが沢山ある、

細かな、ともすれば、

ずっと気付かれないかもしれない、

相手を思う気持ち同士が伝わるとき、

私たちは、心の深くで感動するんだ。

そんな職場だから、

毎日来たいと思うんだね。

そんな職場だから、

頑張ってやるって思うんだね

やってやろうじゃん!って

まとまるんだね。

 

 

そうか、

そうだったんだ

 

この思いは

私が人を好きな気持ちは、

共有出来るんだ

 

私が人の気遣いに敏感なのは、

私がその気遣いをされたときに

敏感に感じ取って、

ありがとうの気持ちを伝えるため、

そして、

その気持ちを共有、共鳴し合って、

心地のいい環境で過ごす、働くためだ。

 

 

私が、

あなたが、

敏感過ぎて疲れるって思っているのは、

根っこで人を思いやる気持ちを共有したいのに

出来ない環境に対して疲れているのであって、

その人そのものじゃないんだ。

何ならその人が粗削りな感情を

そのまま投げ付けてくるのだって、

ウェルカムなんだ笑

 

 

もし同じ思いを共有出来ないことでなく、

相手そのものに疲れているならば、

人が心底嫌いになって、

二度と人と会おうとか、

ましてや

もう一回働いてみようなんて、

絶対思えるはずないのだから。

 

 

 

だから、

人一倍敏感な私たちは、

人の根っこにある、

ありがとうを共鳴させたい

という気持ちにいち早く勘づいて、

それを拾い、

私を含めたみんなを繋ぐために、

生まれてきたのかもしれない。

それが、

私たちの使命であり、

喜びの源泉なのかもしれない。

 

だから私たちは、

簡単に感動して泣くし、

人の話に心を動かされるんだ。

「良かったねぇ~」って

映画やドラマのラストで泣くとき、

私たちは人が人を思うことそのもの、

そして、

それが共有できたことの奇跡に、

深くうち震えるんだ。

 

 

 

 

 

 

私たちが人一倍敏感なのは、

人の小さな優しさを見逃さず、

感謝し共有することで、

みんながお互いを信頼し、

温かい気持ちで気持ちよく暮らすための才能、

ギフトなのです。

 

 

 

それこそが、

私たちの使命であり、

喜びなのです。