自分が楽しめることが誰かに喜ばれる

 

 

ずっと自分が楽しむことと相手に喜ばれることは共存しないと思い込んできた。

でも、お金のためじゃなく、楽しむために働くことが人のためになったり、喜ばれたりしたらこれほど素敵なことはないよなって素直に思えた。

そんな風に自然と思えたことに、自分が一番びっくりした。

私はずっと、搾取されると思い込んでいた。損したくなかった、人のためになんて、何かしたいと思う訳じゃない、でも、自分が楽しいのが人に喜ばれるってすごいことだなって思えたの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはたぶん、コントロールしようとするのを止め始めたから、自分のしたくないことを徹底的に止めてきたからだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分がしあわせになることが一番大切、って繰り返し思うようにしてきた、誰になんと言われようがそこが軸なんだ、ってぶれないように気をつけてみた。

そしたら、そうか、私と一緒にいて楽しいって思う人もいるんだ、また会いたいって言ってくれる人がいるんだなってことを思う自分、を許せるようになった。

ポジティブな未来をすっと信じられる自分が出来てきた気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと私が安心したんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金のために働かないことを誓い、めげそうになったりしながらもその誓いを守り続けて、一瞬一瞬の選択をちゃんと自分の気持ちで出来るようになったから、今度は私を大事にしてくれるのね、って思えるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、

私は大切にされていい、の原点なのかなぁ。

 

私がした私のための選択には後悔はないし、私が選んだのよ、という気持ちや事実は、私の選択は何よりも優先されるものである、という潜在的評価に繋がる。したいことしていいんだ、好きな方選んでいいんだ、って思うようになる。そうすると、自己肯定感、つまり私はいつどんなときも何をしても充分オッケーという気持ち、が高まり、自分が価値のある人間だと正しく書き換えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうすると、これまでだったら言えなかった本当の気持ちですら、きっと受け入れて貰えるだろうな、と根拠なく相手を信じられたりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が心地よい方を、

自分の責任で選択するのは、

とても勇気がいる。

でも、私が気にしていたのは、

目に見えない世の中であり、

そんなものは実は意に介さなくても全く問題がなく、

大事なことじゃないって分かった。

損するかもしれない、

時間は戻らないから。

でも、自分で選びたい、貫きたい、とかって気持ちと選択の積み重ねは、

ふとした瞬間の判断をより研ぎ澄まし、

私がしあわせになるための導きになってくれる。

そして、よく踏ん張ったね!って温かい気持ちにしてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しあわせになるためには、

自分が心地よい状態であるかどうか、

それを判断することに、

本気でシビアになる必要がある。

今はその訓練中。

コントロールしないこと。

こうなれ!!!って祈るけど、

そのプロセスはなんだっていいんだもの。

天に、宇宙におまかせ。

向こうはプロですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心地よいか、にシビアでいること。

そして、ちゃんと選ぶこと。

損してもいい、負けたっていい、ダサくても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心地よいを、選ぶこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怖がらずに信じて、安心して過ごすこと。

そうすれば、表情や言動にハッピーオーラが溢れ出て、ステキなことが自然と生まれていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信じて、安心して過ごす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信じて、安心して過ごす。