仕事=自己表現の実践訓練

 

やりたいことがないのなら、自分が楽に出来ることを継続してやればいい。
そして、その「楽」というのは100%はあり得ない。だってそれは私と全く同じ人しかいない限りあり得ないから。

 

 

 

 

 

相手の思い通りにならなくても私には価値がある。お金のために働かなくて良い。そんな頑張らなくても愛されるし、その人に必要とされなくても私は存在していい、そこにいていい。ただ、真面目は直さなくて良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


小さい時からなんでも身の回りにあったから、望む前に与えられる生活だったから、何不自由なく育てて貰っていたから、自分からそのなにかを取りに行こうと思えない。何がないといけないのか、あまら意識的になれない。

 

私は生粋のプリンセスだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


高級な料理だって、
ただそれたけじゃ全然楽しくなくて、
心を通わせた人と食べるからしあわせなんだ。

何もかもそうだ。


私たちはしあわせになりたいんだ。

 

そしてそのしあわせは、
何気ない日常の中にあることが多い。

 

ただ一緒に過ごす
食事を分かち合う
触れ合う
記憶を共有する

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そのために、本気で仕事モードから愛モードに変える仕組みを自分で作るのもいいかもしれない。

 

雇われて仕事する場合、どうしても他人の土俵に上がらないといけなくなる。だから、やって意味のある仕事だと心の底から思いにくく、やらされている感覚が強くなる。

もしかしたら、仕事が何でも自分のこと発信することそのもの、であった方が、モチベーションは維持しやすいのではないか。だから「やりたいことにこだわれ」ってよく言われるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうせ大して本気でやろうと思っている仕事てばないんだから、やる仕事なんか何でも同じだろと思っている。


でも本当にそうだろうか。

 

それは半分正解で半分間違いかもしれない。やる仕事は何でも同じ、ただ、自分がどう関わるか、を徹底的に変えていく必要がある。

 

したくないことはしない、言いたくないことはいわない、聞きたくないことは聞かない、混ざりたくないなら混ざらない。


その前提に「私は愛されてる」のOSを入れておいて、躊躇わずに、誤解上等で自己表現すること、そうか、、!!!

「自己表現すること」そのものが目的なんだ。
仕事を通して私が意味のあることしてるって思えるのは、土台に「私が私でいること」、つまり自分の思っていることを言う、理解してもらえるかは問題じゃなく、ただ表現する、色んな方法で。

 

 

それによって、自分自身が存在を認めてあげられているってことになるのかも。

心屋さんを知って会社を辞める人が多いのは、新しいOSが余りにも馴染まなくて、一旦仕切り直し!ってしたくなるからじゃないかと思う。

 

でも本当は、今の環境で色々試していくことは出来て、だけどやらない、でもそれで何の問題もない、その職場にいたくないならいなければイイ、好きなようにしよう、なんでも、ということなんだろう。

 

 

 

愛されキャラでいくために、キャラ作ったってイイし、作らなくてもイイ。