仕事=自分がしあわせになった方法を伝えること

 

自分を大事にする延長線上にお仕事がある

 

 

自分にしあわせエネルギー源が満ち溢れた
らそれに周りの人を巻き込んで走っていく感じ?

 

 

 

 

講習とかやるのに成果を確約しない。
解決策を提示して相手がやってみてくれるかは相手の自由だし、本当にやりたいと思った人だけやっ貰って、その結果を聴けた方が方が私も嬉しい。確かにそうだよね。

 

 

 

 

 

 


私のこのしあわせエネルギーを浴びに来て!私に会いに来てー!!しあわせでそ~!しかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


特別なツールを持ってたらより強い。持ってなくても全く問題ない。ただ、人は視覚化されると納得しやすいから、私がそうしたいならすればいい。


「私のしあわせに視覚化が必要ならすればいい」
ここテスト出ます!d(*´∀`*)b

 

たとえ他の方が既に使ってる似たようなツールでも、私が気持ちを込めて作ってる時点でこの世にただひとつのツール。難しく考える必要もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


相手の問題解決が出来る私だから素晴らしいんじゃなくて、既に素晴らしい私。

 

話すことそのものは大好きだけど、これまでは自分の中で納得出来るレベルにするまでに時間かかるから躊躇ってきた。でもそうやって自分を追い込んだことも、自分が価値をその時感じてたならそれはそれでオッケーなのよね。

 

そのためらいは恥ずかしい思いしたくないって恐怖で、私は恥ずかしいやつって思われかねない存在だし思われたら終わりだって思ってる。価値がないって。
そんな前提があった。
だけどそうじゃない。

 

怖いままで良い。
怖いままやる。
合わない方はバイバイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が誰かを救うんだ
=誰かを救えないと、誰かに絶対成功する解決策を提示できないと価値がない

じゃなくて、


私がしあわせになった方法お伝えします!

絶対会いに来てね!

ってこと。

 


あくまでもやることは私自身がしあわせになることと、それが溢れ出た状態でしか人に接しないという、たったふたつのルール。

 

既に自分はしあわせだって思ってたけれど、こんな風に「しあわせな私のお話します!」みたいなことをいざ自分で言ってみると、うわぁそんなこと言われても!ちょっとネタ整理させて!ってなるからびっくり笑

思ってないんじゃん!みたいな笑

 


今の自分が既に愛されていて、
完璧な状態なんだって考える。
その過程に何があったのか、
どんな気付きがあったのか、
どんな捉え方を練習してみたのか、
などを伝えるだけ。
あと練習を一緒にしてみるだけ。
やり取りするだけ。

 

 

 

 

 

 

 

あれかな、一緒に時間過ごせばもう
充分なのかも。

 

 

 

 

 

 


「なんかいいな」とか
何か感じてくれたら万々
(相手の何かに刺さったってことだから)、
言動起こしてくれたら表彰もの、
飛び上がって喜ぶ。

 

参考にした方:
心屋さん、Megさん、假屋さん、久保さん、本田晃一さん

ありがとうございます。