仕事=安心感を得る手段のひとつ

 

 

やりたいこととか特にないけど、真面目でこだわり強い性格はそのままに、頑張って出来ることを出来ないと言い、そうやって働きながら、
安心して暮らせるだけのお金が得られたらなんでもいい!

 

お金よりも、相互に監視関係にならないで穏やかに暮らしたい。許し会う関係を築きたい。安心して一緒にいられる人が増えて、遊びに行くときはガイドしてくれたりしたら嬉しいな。旧友みたいに。
そしてそんな仲間は、苦労しなくても出来ていいんだ。でも多分真面目だから膝付き合わせて話しないと私は納得しない笑
この辺MEGさんに似てる??

 

 

愛され前提で、一緒に過ごすことが目的で、「(マジ会えて奇跡!)会えて嬉しいー!!」で終われて、変なあれせなかん、こうしなくちゃ恥ずかしいとか、変な例の監視がないから楽だろうなぁ。

 


嫌いな人がいる 場合
⇒自分の中に「どうせ自分は」という気持ちがあるから、それに引き寄せられて、或いは引き寄せて現実化してるだけ。

好きなこと、は、人様に褒められるような、すごいって言われるようなものでなくともオッケー。
ここがとっても大事。

毎日が穏やかで好きな人とご飯食べて、あの溢れるようなしあわせを感じながら一緒に暮らせればそれでいい、100点じゃなくても、大体の人のしあわせってそこに集約されるのではなかろうか。

 

 

 

 


そうか、
私がしたいことは、
互いに監視し合うのではなくて、
互いにサポートし合う環境にいること、
その安心感を仕事しながら得ることなんだ。
それが出来たらとてもしあわせだなぁ。
私が普段過ごすのに適切な、
温かくて穏やかで清潔な居心地よい環境。
(この辺まんま草花だなw)
あと、私はもっとテキトーに
働いていいんだってこと。
やりたくないこと、
人に注意する、人と折衝する、は
誰か別の人にやってもらって、
もし人にされたら、
私は攻撃されるような人じゃない、
私は嫌われているわけではない、
この人は怖いだけなんだ、
そしてその恐怖は私には関係ないこと、
放っておいて欲しい笑
(実際嫌われててもオッケー)

そんな時は、
すいません、私にはあなたと同じようには出来ません、て言おう。
同じようしなくちゃ、とすると頭の中がぐちゃぐちゃになって、何を言われているのかも分からなくなり、パニックになってとても苦しくて、家に帰っても自分を責めて苦しくなってしまうんです、と、ちゃんと伝えよう。紙に書いてでもいいから伝えよう。

 

 

 

 

 

てか別に仕事でそれしなくてもいいんだけどね。
危ない危ない。

 

 

 

 

 

 

MEGさんはそれを確かめるために色々試してみてる、根っこはすごく深いけど、前提が愛されだから、「失敗」しても私が愛されてることに還って来られる。
まずは家族で、次はママ友で、次はクラフト講座の生徒さんたち、次は見ず知らずのブログの読者さんたち、というような順番で、一番身近な人から順繰りに、世界はやっぱり優しかったんだ!ということを確認してきたってことなんだな。

 

 

 

 

 

 

お金のために仕事するのだと、お金は苦労して汗水垂らして嫌なこと我慢して得る我慢料だとかいうステレオタイプが乗っかっちゃって、
「ちゃんとやってない」ことは「お給料もらうのに値しない」攻撃の材料になっちゃう。そうすると、自分や他人に対して監視するようになる。

 

 

 


だからもしも、安心感を得るため、やっぱり世界は私に優しいんだ、ということを確認するために仕事するとしたら、頼ったり、甘えたり、拒絶したり、投げ出したり、出来ないと言ったり、「アウト」なことをやってみたいなって、やってみるしかないよなって気持ちにならざるを得ない。


そこに思い通りの結果にならないリスクはあれど、試してみるしかないもんね。


こういう仕組みだったのか…

 

 


お金のためじゃなく、安心感を得るためには、安心感を否定されるかもしれないことに飛び込むしかないんだ、色々怖いものひっさげたまま。

 

逆説的。

びっくり。

 

怖いけど、やってみるしかないのよね。