してもらいたいことはこちらからインプットする

 

相手にこうして欲しいとか

 

そういうのは、

 

相手が自然とする相手じゃない限りは

 

あまり期待するのもこちらが逆に疲れる。

 

 

だからこそ、

 

仮に少し可能性がありそうな場合は

 

働きかけることで変わってくれる

 

可能性もある。

 

その時、自分は何もしないで

 

ああして欲しいこうして欲しいじゃなく、

 

まず自分がやってみせることが大切、

 

ってよく耳にする。

 

 

それはどういうことなのか考えた。

 

 

んで、

 

まずこうやるんだよって

 

実際にやって見せないことには

 

相手はどうしたらいいか分からないから、

 

ってことなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

赤ちゃんに何かを教える時と全く同じ。

 

赤ちゃんって子供に見えるけど、

 

一個人としての人格を持ってる。

 

だから、

 

その観点からだけ見るなら、

 

赤ちゃんと大人の間に差なんかないのだ。

 

 

それなのに、

 

私たちは大人と見るや、

 

「分かってくれるだろう」症候群の癖が

 

出てしまって、

 

詳しくかつ易しく、優しく、何度だって

 

伝えようとする努力を怠りがちになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

似てるのは姿形だけのもので、

 

みんな異なった人格を持ってる。

 

だからこそ私たちは、

 

最終的には、

 

驚愕の事実だけど実は

 

100%理解しあえなくても共存していいんだ

 

って理解も出来るんだって

 

その感動を味わうために、

 

学ぶために生まれてくるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大切なことは、

 

私たちが根源で欲するものは

 

人との繋がりであり、

 

そこがクリアされてれば、

 

ぶっちゃけあとはどうでもいいんだ。

 

だって大事なひとと食べるご飯って

 

おにぎりで十分じゃん?

 

逆にあれだ、

 

おにぎりを美味しいって食べられる間柄かを

 

確認する方がいいかもしれないね。

 

だって

 

ご飯食べるって言うのは生き物としては

 

完全に無防備になるし、

 

ほんとに心を許してる相手じゃないと本来は

 

出来ないこと。

 

野性動物で仲間とか油断しても大丈夫

 

じゃないやつとご飯食べるものはいないもん。

 

そこで、

 

シンプルなおにぎりを食べる。

 

如何にも生き物として美味しそうな

 

高カロリーな食べ物だと、

 

そっちに思考が集中してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

共に過ごす空間、時間に対して、

 

プラスαで如何により様々な選択が出来るか、

 

そこが経済的成功に関連してはいるって

 

ことなだけなんだ。