雨乞いも引き寄せ??

 

 

 

確かペルー特集でセノーテについてやってたんだけど、雨乞いの儀式するんだそうです。生け贄捧げてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

引き寄せについても色々みたりしてたので、この雨乞いも要はそれなんじゃないかと思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

引き寄せって解釈は色々あるのでしょうけども、ざっくり私の考え方は、

 

人間が量子の集まりあると科学的仮定に拠ると、快不快によってその量子が異なった振動を起こす。地球上にあるものもまた、別の量子の集合体であると仮定するなら(ひとものすべて)その振動によって似た性質のものが集まる。

 

という感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生け贄を捧げて祈らないと雨の恵みがいただけないのだ」、というのは、強く強く豊穣をイメージする訓練だった。もっと言うと、「生け贄を捧げて豊穣を強く祈っている時」の量子の振動に一個体としての各人の身体を整える行為。その強い強い引き寄せの波長が、仮に村民全員による共有だったとしたら、とても大きな流れになっていたのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


それらの力について、まさか人間が持ってる力だと思わず、だけれども何か名前をつけない限りは概念化出来ないから「神」って名前をつけることで、擬人化し尊崇できたのでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、起こるものごとに意味付けをしているのは人間であって、神さまではないのだよね。

そことの関わりというか、位置付けがまだ整理できてないかも。