人の期待に応えない生き方なんてあり?

 

 

今朝、自分の思い通りの反応をしてくれない友人にキレて、もう二度と連絡してくんな、とラインした。

出来たばかりの友人にそんなことしたことなくて、なんてことしてしまったんだろう、私は自分が出来ないことをする人への八つ当たりをする最低の人間だ、ともうパニックで、あり得ない量の食事をしてしまった。

 

 

でも一方で、色んな私を沢山許した。

食事がちゃんと出来なくても毎日ご飯を食べようとしている自分

今、嫌だと思うものを徹底的に拒絶出来た自分

自分のご機嫌が良くなるブロガーさんの記事を読んで落ち着いてみたら?って自分に言えた自分

散歩して、やっぱり音楽っていいなぁって感じられた自分

自分にアイスを買ってあげた自分

お風呂上がりマッサージしてあげた自分

ちゃんとスキンケアした自分

ちゃんとドレッシング作ってトマトを食べた自分

豆乳を飲んでほっこりさせた自分

夜更かしを許した自分

 

 

 

 

 

 

 

 

これまで信じてきた、

「人に必要とされないと私は死んでしまう」

「人に必要とされるには期待に応えること」

「人をよく観察し先取りして行動すること」

「上記を思いやりと呼ぶこと」

 

 

 

 

これらが

ぜえええええええええんぶ

私の妄想だったなんて。

冒頭の友人の対応で、私は熱量をもって接することが相手のためで、相手はその熱量に相当する熱量で私に応えるべきだと思っていることに気付けた。

 

 

 

 

小さい頃は確かにパパやママの観察をすることが生死に直結したけれど、今はそうじゃない。

人に嫌われようが、必要とされなかろうが、私は私で価値があり、何の制約もなく好きなことをして良いし、ビジネスとして成り立つかは、私みたいなメンヘラがご機嫌で暮らしていく方がよっぽど大事だからどうでもいい。

どうでもよくないけど。笑

でも日本中のメンヘラがご機嫌に暮らしたら医療費かなり減るんじゃない?

 

 

 

 

 

どうやって食べていけば良いの、の前にメンヘラが考えるべきことは、自分のモチベーションが何だったらキープされやすい傾向にあるかを色々試して見つけてみる、ってこと。

そうでないと、楽しんで生きることが必須なのに、お金を沢山稼ぐことが目的に擦り変わってしまって元も子もない。

それ、逆ですから!!!!!!

メンヘラにとっては、社会不適合者にとっては、稼げることよりも心身の健康が保てることが重要だから、まず心身の気持ちよさファースト、ということ。

 

 

 

 

ビジネスとして成り立つか、の前に、自分がもっと知りたいと思うか、はしゃげるかが大事。