楽しいは自分で作る

 

こうやって娯楽をシャットアウトされてみると自分で楽しいことを見つけるのが大事だと分かる。

 

たとえ一人でも

この星に自分一人しかいなくなっても

その前提は間違っているように思える

かもしれない。

 

でも、たとえ誰かといても

気持ち的にそうなることは

多分みんなある。

 

だから

人にバカにされようが

ちゃんと自分が心地いいかを

何度でも確認してやってくしか

ないんだろうな。

 

 

 

興味の範囲が狭いなら仕事しよう

 

楽しいと思えるものが少なかったり

好きなものが少なかったり

熱中できるものや

いくら使ってもいいと思えるもの

そういうものがない人ほど、

働いた方がいい。

 

住民税払えなくても

健康保険払えなくても

家賃で精一杯でも

白いご飯とたまの納豆だけしか

食べられなくても

旨味がなくても何かしてることで

大分気は紛れる。

 

 

でないと暇すぎる笑

何もすることがないって

心身が参ってる時は幸せなんだけども

回復しだすとどうもダメだ…

 

 

ただ人といるだけで疲れるもんだから

そうしないためには独立だなぁ

という気持ちが日に日に増している。

 

 

 

 

 

人が羨ましい

 

 

インスタは

素敵なものを見つけるのに役立つ

でもずっと見すぎると

潜在的に自分と比較してへこむ

 

それだけでなく

その一連の流れを

繰り返し繰り返しすることで

自分が自分のために

「もっとこうだったらいいな」

ということをひとつずつ実験確認する

ことをサボってる時間が長くなる。

 

心地いい状態を探すのにはネットは

便利だけれども

あくまでもヒント探しにしといた方がいい。

 

 

 

 

 

 

 

最初にやった人が利権を得る仕組み

 

 

人は「間違いないもの」を欲しがる性質を

持った生き物


間違いない、の根拠は

権威と呼ばれる存在に依拠すること。


権威は大抵(七転八倒して)試行錯誤してきた

イオニアがなるので、

最初にやった人が利権を得る。


人が欲しいのは、

ある一定の基準を満たし

自分に損した気持ちを味わわせる可能性が

低いもの。
人は損したくない。

旨味を得たいと思う生き物で、

旨味が得られそうにないと考えると

動かない生き物。

 

 

 

 

 

雇われて働きたくない

 

 

雇われる働き方をする以上、

全て自分の思い通りにはならない。

 

 

 

ほんとその通り、

やっぱり私は

人に雇われて働きたくないのだろうなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感情が爆発してくれたときに

出てきた言葉。

「人に雇われて、働きたくない!!!!!」

魂の叫びと知りながら

ずっと無視しつづけている。

 

 

自分にできることなんか

何もないんだ

こうでもしなければお前は

無鉄砲に好き勝手して

そうして失敗するんだ、

私がそれを免れるように、

動いてやっているんだ、

こういうことを、

証明し続けている状態。

 

そら苦しいわなぁ

 

 

 

やろうって決心できたとき

人に言うなどうせ後ろ向きな心配しか

されないからってよくいうけど

あれも真理だよね笑

 

 

 

 

 

私の中の穏やかな世界で生きていたい。

心地いい、が分からない

 

分からないことにしているだけなのかも

しれないけども

 

 

 

 

こうしなきゃ、が強すぎて

これをこうしたいとか

あれをこうしたいとかそういう、

欲求が出てこない。

 

出てくるのは

脳を酔わせるために砂糖を欲する欲求だけ。

あとは脳が気持ちよくなる音楽とか。

 

 

穏やかだったものまですべて、

破壊してしまいたくなる。

全部全部ぶち壊して粉々にして、

ほぅらお前には絶望しかないんだと

お先真っ暗だと追い詰めたくなる。

 

 

もう全部全部いやだ、

全部なかったことにして、

私も消えてそれで

みんなハッピーに暮らせばいいんだ、

私はどうせその中には入れないんだから

お前にはもうなにもないんだよって

暗いところに押し込めて

出てこられないようにしてしまいたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもそれは同時に、

穏やかな、私だけの世界。

 

感覚と、

それに紐付いた記憶だけで成り立っている、

私だけの世界で幸せに暮らしたい。

私の精神世界を誰にも犯されたくない。

 

 

 

 

 

 

 

どこにいけばいい

 

 

自分のことなんだから

自分でちゃんとやれよ、

 

 

ごもっともです。

 

じゃぁできない人は

どうすればいいですか?

どこにいけばいいですか?

 

生きててもいいですか??

 

あなたの価値観では

なんの価値もないけど

私は生きてたらダメな人ですか。

「そんなんじゃだめ」

ですか??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うるせぇよ

 

てめぇに何がわかんだよ私の

 

ちょっと仲良くなったぐらいで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

違う。

そういう人間と

一緒にいることを選んでるのは私なんだ

他でもない、

私なんだ。

 

 

私が私に

罰を与えてるんだ。

 

 

こんなに繊細な私は

どこにいけばいい?

人の言うことにいちいち反応して

涙が止まらなくなる私はどうすればいい

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたにとっては他人事なのだろう、

ごもっとも。

でも「正解の方向」に歩けないって

分かった瞬間に諦められる瞬間は

結構辛いんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしもようもないとき

 

 

どうにも気持ちがコントロール出来なくて

涙か溢れるとき、

 

眠るまで抱き締めていてくれる手があった

こと

 

 

 

 

涙がこぼれる前に

腕を引いて胸に抱いてくれたことが

思い起こされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうして私ってこうなんだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肝心なときにいつも

忍耐が足りなくて

ちゃんとできない

 

 

ちゃんとできてるように見えてるよね?

それだけに命張ってますから

生活のすべてを捧げてやってるからなんですよ

土日起き上がれないんですよ

知ってました?^^

 

 

 

 

働くことが恐怖のイメージになって

しまっていてつらい

いい歳してちゃんと働けない自分が情けない。

 

 

 

本当に続けられそうな仕事を見つけるために

放浪すること

 

のためには

 

親の脛をかじること

 

が必要になる。

 

 

 

 

出来ることと出来ないことがあって

私には収入がない中で

落ち着いて就職先を探すことなんて

出来ませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とってもよき理解者がいるのですが

 

 

カタログ見るみたいなノリで

色んな仕事見てみればいいんじゃない?

 

 

と、言われました。

正直、全く理解できません。

じゃあなんのために見るの?

その仕事をするってなったとき

キツそうな所、大変そうな所に着眼して

そこに耐えられるようにメンタル準備して

おかなかったら

誰がどうやって

この繊細な私を守るというのだ。

 

一発で決めないと

精神がおかしくなりそうだから

早く決めたいんですよ。

 

まともな会社ならどこでもいい

だって結局人なんだもん私の場合。

続くか続かないかって。

仕事は辛かろうがキツかろうが

眠れなくなろうが連日終電だろうが

やるって決めたんならやるだけだし

やるって決めた先に

逃げはなしだぞ、と思っているからこそ、

毎回本気なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はどこにいけばいい。